ファーラントが立ち去ってからどのくらいの時間が経ったのだろう。
 一人残されたアリーシャは、暗い路地裏の陰ですすり泣いていた。時折、行きかう人々が彼女に同情にも似た視線を送るが、誰一人としてアリーシャに声をかける事はしなかった。
 複数の足音がアリーシャの側で止まった。品のない笑い声が頭上から聞こえてきた。涙に濡れた顔を上げると、目の前に柄の悪い数人の男達が立っていた。
「どうしたんだい?お嬢ちゃん。一人なのか?」
 男の一人が薄ら笑いを浮かべて近づいて来た。恐怖を覚え、アリーシャは怯えながら後ずさった。
「逃げなくてもいいだろ?俺達といいコトでもしねぇか…?」
 男の太い手が伸び、アリーシャの腕を掴んだ。そのまま、路地裏の奥に引き摺られるように連れて行かれる。男の力は強く、力のないアリーシャは抵抗する事が出来なかった。男に突き飛ばされ、アリーシャは地面に倒れこんだ。顔を上げ、自分を見下ろす男達を睨みつける。
 彼女の視線に臆する事も無く、男達は楽しげに笑った。
「随分とそそる格好じゃねぇか」
 男がアリーシャの脚を見ながら低く言った。アリーシャのスカートは捲れ、白い太腿が露わになっている。アリーシャはスカートを引っ張り、脚を隠した。
「ひ…人を呼びますよ!?」
「へへっ、呼べるモンなら呼んでみろよ!」
 男が覆いかぶさり、アリーシャを押し倒した。男のゴツゴツとした手が、アリーシャのベストを破り、ブラウスを引き裂いた。手が、指が、服の中に潜り込んでくる。
口を塞がれ、アリーシャは叫び声を上げる事が出来なかった。
(嫌っ…!嫌っ…!助けて……ファーラントさんっ……!!)
 アリーシャは必死に、声にならない声で叫び続けた。


 人混みの中を歩いていたファーラントは足を止めた。
 誰かに呼ばれたような気がして、周りを見回す。呆れたように笑うと、ファーラントは首を振った。
 自分を呼ぶ者なんて、この世界にはいない。
 空耳だよ。
 そうだ。きっと、そうだ。
 だが、ファーラントには一つ気がかりな事があった。
 さっきから感じている胸騒ぎ。
 彼女に何かあったのだろうか。
 でも、俺は…。
 踵を返すと、ファーラントは来た道を走って行った。


「そんなに暴れるんじゃねぇよ!!痛ぇっ!!」
 男が叫んだ。アリーシャが口を塞いでいる手に噛みついたのだ。アリーシャを押さえる男の力が強まった。男の手がアリーシャの脚に触れ、そのまま這い上がっていく。
(もう…駄目っ……)
 アリーシャが諦めかけたその時、凄まじい轟音が響いた。音と同時に、辺りに焼け焦げた匂いが漂う。覆いかぶさっている身体の隙間から、白い服を着た長身の人影が見えた。ファーラントだ。彼の足下には、黒く焦げた男の仲間が倒れていた。
「彼女から…離れろっ!!」
「んだと!?」
 男がアリーシャから離れ、ファーラントに襲いかかった。殴りかかった男の拳をファーラントは軽々と避けた。
「はああああぁぁっ!!」
 ファーラントの渾身の蹴りが、男の顔面に炸裂した。顔面の骨を砕かれた男は地面に倒れ、気を失った。肩で呼吸を整えると、ファーラントはアリーシャの所に駆け寄った。
「王女!!」
「こっ……怖かったっ…!」
 ファーラントの姿を見て安心したのか、アリーシャの顔が歪んだ。水色の瞳から涙が零れ、アリーシャはファーラントにしがみついた。白い服に顔を埋め、激しく泣く。ファーラントは包み込むように、優しく彼女を抱き締めた。
「ごめん…!俺が君を一人にしたせいで……」
 ファーラントが謝った。その声は苦痛と後悔に満ちていた。
「私こそごめんなさい…!避けてるなんて嘘です…!嫌いだなんて嘘です…!本当は…本当は…私…貴方の事…好きなんです…!初めて会った時からずっと…」
 ファーラントの胸から顔を離し、詰まりながらアリーシャが言った。驚きに満ちた緑色の瞳と視線が出会う。
「…よかった…俺…君に嫌われてるって言われて…凄く落ち込んだんだ…本当によかった…」
「傷つけてしまって…ごめんなさいっ……」
 涙で濡れた頬を、ファーラントの両手が包み込んだ。甘く整った顔が、泣き出しそうな表情に変わっていく。
「…王女」
「…はい…」
「君を……一人の女性として、好きになっていいかな……」
「えっ……?」
「君だけの英雄になりたいんだ……俺も…君を…愛しているよ」
 ファーラントの言葉が、アリーシャの胸を甘く抉った。
 アリーシャは言葉が出なかった。無言で頷くと、ファーラントは微笑んだ。
 その微笑みは太陽のように輝いていた。
 ファーラントの顔が近づき、唇と唇が重なった。
 彼の口づけは優しく、時に激しかった。
「ファーラント…さん…」
「何…?」
「本当…?私だけの…英雄に…?」
「嘘はつかないよ。俺は、君だけの英雄だから…」


 男に触れられ、汚されたアリーシャの身体を、ファーラントの手と唇が浄化していく。アリーシャは目を閉じ、彼の愛撫に身を委ねた。
 二人は互いを激しく求めあった。
 場所なんて関係ない。
 人の目なんてどうでもいい。
 君さえいれば、
 貴方さえいれば、
 何が起こっても、世界が明日終わると知っても怖くはない。


「…アリーシャ……」
「…はい…」
「…愛してるよ」
「私も……愛しています…」
 握り合った手を通じて、ファーラントの想いが、全てが伝わってくる。
 ファーラントさん。
 私だけの英雄。
 ずっと、側にいてください。
 アリーシャは祈るように、心の中で呟いた。