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 夜も更け、仲間が寝静まった頃、アリーシャは宿のキッチンにいた。何故か今夜は眠れず、宿の主人にキッチンを貸して欲しいと頼むと、後片付けと戸締りさえしてくれればいい、と主人は快く鍵を渡してくれた。  昼間に買った町の名産品であるミルクを温め飲んでいると、入口の方で足音がした。振り向くと、そこには小柄な青年が立っていた。 「あ…」 「…あ」  誰もいないと思っていたのだろう、青年はアリーシャがいる事に少し驚いているようだった。気まずい沈黙の中、困った顔で青年が口を開いた。 「…眠れないのか?」 「あ…はい…エルドさんもですか?」 「まぁ…そんな所だ。…座っていいか?」  アリーシャが頷くと、エルドは椅子を引き、彼女の向かいに座った。再び沈黙が流れていく。アリーシャはちらりとエルドを盗み見た。エルドは頬杖をつき、暗くなった窓の外を見ている。半分ほど開いた窓から、冷たい夜の空気で冷え切った風が吹きこんできた。 「くしゅんっ!」 「おい、大丈夫か?」 「はい…くしゅんっ!!」 「ちょっと待ってろ」  短く言うとエルドは立ち上がり、キッチンから出て行った。二階に上って行く足音が微かに聞こえてくる。しばらくするとエルドが戻って来た。エルドはアリーシャに近づくと、手に持っているブランケットを渡した。 「ほら。足にかけとけ」 「ありがとうございます」  ブランケットを受け取り、足にかけると寒さが少し和らいだ。開いていた窓を閉めると、エルドはキッチンの奥に姿を消した。カチャカチャと物音が聞こえ、甘い香りが漂ってきた。何分かすると、両手にカップを持ったエルドが出て来た。一つをアリーシャに渡すと、エルドは椅子に腰を下ろした。 「これ…ココアですか?」 「見たら解るだろ。馬鹿か貴様は」 「…ごめんなさい」 「…オレが子供の頃にシスターがよく作ってくれた」  言い過ぎた事に気付いたのか、エルドの声はさっきより柔らかかった。エルドはカップを置くと、物思いに耽っているような目で、波紋が浮かぶココアを見つめた。金糸のような長い前髪が顔を覆い、表情がよく解らない。 「シスター?エルドさん、教会によく行ってたんですか?」 「…いや…オレは……ああ…毎日のように教会に通っていた。いつもと言っていいほどシスターがココアを作ってくれたっけな…」 「甘い物、好きなんですね」 「オレは甘い物は大嫌いだよ。でも…これは別だ」  エルドの表情は普段のいつも不機嫌で無愛想な彼とは違い、とても穏やかだった。だが、星のない夜空のように深く、濃い紫の双眸は悲しみと苦痛の色に染まっていた。そんな瞳を見たアリーシャの胸が締め付けられるように痛んだ。 「エルドさん…大丈夫ですか?」 「は?何でそんな事を訊く?」 「その…とても苦しそうに見えたから…」 「一度死んでるんだ。大丈夫だ」  飲み終えて空になったカップを手に持つと、エルドは立ち上がった。 「あ、私が洗います」 「オレがやる。貴様はもう寝ろ」 「でも……」 「貴様が体調を崩したら、オレがあのクソ女神に怒られる」  クソ女神とはシルメリアの事に違いない。エルドの口調は素っ気なかったが、アリーシャを気づかってくれているのだろう。  不器用なエルドの優しさに、心が温かくなる。 「じゃあ…お願いします。キッチンの鍵、掛けておいてください」 「解った」 「エルドさん」 「何だよ」 「おやすみなさい」 「…おやすみ」  アリーシャは鍵をテーブルの上に置くと、出て行った。彼女の足音が二階に上って行くのを確認すると、エルドは上着の袖を捲り、カップを洗い始めた。白く、細い腕には赤い蚯蚓腫れの跡や火傷の跡、無数の傷跡があった。 「…おやすみ…アリーシャ…」  エルドはそっと呟いた。  その口元は、微かに微笑んでいた。