穏やかな昼下がりの午後、深いコバルトブルーの空に教会の鐘の音が響き渡った。日曜のミサに参加する為、人々が教会に歩いて行く。
「母さん、今日もまたあの夢を見たんだ」
 一人の少年が、母親の服を引っ張った。母親は足を止め、少し困った顔で少年の顔を見下ろした。
「ローランド、その話はしないでって言ったでしょう?」
「どうして?」
「…さあ、ミサに遅れるわ。行きましょう」
 ローランドの手を引き、母は急ぎ足で歩いた。どこか腑に落ちない表情で、ローランドは母に手を引かれ歩きながら、淡い琥珀色の瞳で空を見上げた。
 少しずつ、ゆっくりと、
 運命の歯車は動きだしていた。


 大陸北西部に存在するアークダイン王国。代々優秀な騎士を輩出しているアステリオス家に、ローランドは生まれた。父は騎士団の団長を務めていて、真面目で誠実な人柄の彼は、団員達からも慕われていた。普段は自他共に厳しい父だが、家に帰れば妻や息子に優しい夫になる。母は穏やかで控えめだが、料理が上手く、意思の強い女性だ。
 友達と遊んでいても学校で勉強していても、騎士団長の息子、という視線をいつも感じていた。ローランドには心から打ち解けられる友人はいなかった。
 最近ローランドは、変わった夢を見るようになった。梟の羽飾りのついた兜をかぶり、浅葱色の鎧を身に着けた女性がローランドを見つめている、そんな夢を。その女性の顔は、少し悲しげだった。
 両親にこの事を話すと、二人の反応は対照的だった。父は喜び、母は悲しんだ。
「ローランド、お前は神様の祝福を受けたんだ。これはとても名誉な事だ」
 父親は誇らしげに言うと、ローランドの頭を撫でた。母も微笑んでいたが、目に悲しみを湛えていた。母親と二人きりになった時、母は泣きそうな顔でローランドを抱き締め、呟いた。
「貴方はエインフェリアに選ばれたのよ…。あの人は喜んでいたけれど、私は喜べない…いつ戦乙女が貴方の魂を狩りに来るのか…」
「母さん…心配しないで…僕は大丈夫だから…。ただの夢だよ、気にしないで」
 母は頷いた。しばらくの間母は何も言わず、強くローランドを抱き締めていた。
 そう、
 あれはただの夢なんだ。
 でも、
 あの人を思い出すと、胸が苦しくなる。


 それから十年程の月日が経った。戦陣で父親が負傷し、その後を継いでローランドは二十歳という異例の若さで、血剣騎士団の団長になった。
 初めは冷ややかだった周囲の目も戦場で功績を重ねるにつれ、次第に変わっていった。数々の武勲に驕ることのないローランドの人柄は、団員達の信頼をいつの間にか集めていた。
 いつしかローランドは、あの夢を見なくなっていた。
 ある日、ローランドは考え事をしながら街を歩いていた。ふと気がつくと、街の中でも治安の悪い区間に来ていた。路地の向こうから言い争う声が聞こえてくる。ローランドは声のする方に歩いて行った。狭い住宅街の片隅で、三人の男が一人の女性を取り囲んでいた。人相の悪い男達の一人が、ローランドに気づき振り向いた。
「ん?何だ?兄ちゃん」
「何をしている?その人から離れるんだ」
 男の髭面がぴくりと引き攣った。ベルトに挟んであった短剣を抜き、ローランドに近づく。
「…今何て言った?」
「彼女から離れろと言ったんだ。聞こえなかったのか?」
 残りの男達も近づいてきた。ローランドを取り囲む。臆することもなく、ローランドは髭の男を睨んでいる。
「生意気な野郎だなぁ…。少しお仕置きが必要みたいだなっ!!」
 髭の男が斬りかかってきた。ローランドはそれをたやすく避けると、剣を抜き、一閃させた。剣は男の髭を綺麗に削ぎ落とした。男の頬に赤い筋が走り、ぷつ、と赤い珠が浮かぶ。
「どうした?まだやるのか?我が名は血剣騎士団団長ローランド!王の名の下に、貴様達を裁く!」
「騎士団の団長だと?逃げろっ!!」
 蜘蛛の子を散らしたように、男達は逃げて行った。ローランドは剣を鞘に収めると、女性に歩み寄った。
「大丈夫ですか?」
「え、ええ……」
 女性が伏せていた顔を上げた。彼女の顔を見て、ローランドは凍りついた。
 金色の長い髪に、翡翠色の瞳。
 どこか儚げで、神秘的な雰囲気。
 間違いない。
 彼女だ。
 幼い頃、何度も夢に見た、あの女性だった。