夢で見続けていた女性が、目の前にいた。
 緩く波打つ金色の長い髪に、淡い翡翠色の瞳。陶磁器のように滑らかで、白い頬はほんのりと赤みを帯びている。
 夢と違うのは、彼女の服装だった。勇ましい鎧姿ではなく、町娘が着るような白いワンピースの上に、紺色のベストを着ている。
 彼女を見た時ローランドは、自分の魂の一部が強く惹かれるのを感じた。人とは違う、神秘的で儚い雰囲気を彼女は持っていた。
「あの…」
 ためらいがちに女性が声を出した。その声で、ローランドは我に返った。女性は少し怯えた様子で、彼を見つめている。自分でも気づかない内に、眉間にきつく皺が寄っていた。どうやら長い時間女性を見ていたようだ。そのことに気づき、ローランドは恥ずかしくなった。
「す…すまない…。ところで、君は何者なんだ?どうしてこんな危険な所に?」
「それは…」
 目を伏せ、女性は口籠った。まだ怯えているのかもしれない。ローランドは女性の手を優しく取った。女性は戸惑った表情で、ローランドを見上げた。
「ここは街の中でも危険な区間だ。落ち着いて話せる場所に案内するよ」
 相手を安心させるように、ローランドは優しく微笑んだ。少し安心したのか、口元に微かに笑みを浮かべ、女性が頷いた。
 少し歩き、二人は街を一望できる高台に着いた。ベンチに腰を下ろし、ローランドは途中で買った飲み物を渡した。
「落ち着いたかい?」
「ええ」
「よし。君の名前から訊いてもいいか?」
「…私は…シルメリア」
「シルメリアか。俺はローランド。ここアークダイン王国の騎士団の団長を務めている。君はどうしてあんな場所にいたんだ?」
 シルメリアはしばらく黙っていた。少し間を置くと、静かに口を開いた。
「…私は…ある方の為に、探し物をしているの」
「探し物?具体的に教えてくれないか?」
「ごめんなさい。今はまだ何も言えないわ」
 沈黙がしばらく二人を包んだ。コーヒーを飲み終えると、ローランドは立ち上がった。
「君はこれからどうするんだ?泊まる所はあるのか?」
「泊まる所?…考えてなかった…」
「君さえ良ければ、今夜俺の家に泊まるといい」
「…いいの?」
「困っている人は見過ごすなって父によく言われたからね。さあ、行こう」
 アークダインの白い街並みを、夕焼けが赤く染めていた。


 ローランドは家の扉を開け、中に入った。キッチンの方から、美味しそうな匂いが漂って来る。きっとこの香りはシチューだろう。
「母さん、ただいま!」
 奥に向かって声をかけると、エプロンを着けた母が、キッチンの入り口から顔を覗かせた。ローランドの姿を見ると、母の顔は嬉しそうにほころんだ。
「お帰りなさい、ローランド!貴方の顔を見るのは何週間ぶりかしら。あら、その人は?」
「ああ、彼女は泊まる所がなくて困ってるんだ。今夜、家に泊めてもいいよね?俺の部屋を使わせてあげて」
「あら、それじゃあ貴方はどうするの?」
「夕食を食べたら、騎士団の宿舎に戻るよ。ところで父さんは?」
 少し寂しそうな顔で母親は微笑んだ。
「お父さんは街の見回りに行っているわ。さあ、もうすぐ夕食ができるわ。席について待っていて頂戴。そうそう、貴女、お名前は?」
 話しかけられたシルメリアは驚いた様子で、母を見た。
「シルメリアです…」
 母の顔が少し強張ったように見えた。母は微笑むと、キッチンに戻って行った。気のせいだったのだろう。ローランドは椅子を引き、シルメリアを座らせた。
「優しいお母様ね」
「そうかい?君のご両親はどんな人なんだ?」
 シルメリアの表情が暗く沈んだ。ローランドは、自分がシルメリアを傷つけるようなことを言ったと思い、慌てて謝った。
「ごめん…」
「いいのよ、貴方が謝る必要はないわ」
 シルメリアは微笑み、優しくローランドを見つめた。その微笑みを見てローランドは、また心が強く惹かれるのを感じ、頬が熱くなる。
 三人で食卓を囲み、夕食を食べていると、父が帰って来た。
 久しぶりに息子と会った父は嬉しそうにしていた。会話は弾み、特にシルメリアのことで盛り上がった。どうやら両親は、シルメリアをローランドの彼女だと思っていたらしい。ローランドは顔中を真っ赤に染めて、全力でそれを否定した。
 楽しい時間はあっという間に終わった。ローランドは身支度を整えると、両親に別れを告げた。その時の二人の顔は、寂しそうだった。
「気をつけてね、またいつでも帰って来ていいのよ」
「私達のことは心配するな」
「うん。父さん、母さん、シルメリアを頼むよ。じゃあ、行ってきます」
 ローランドは扉を閉め、家を後にした。街灯に照らされた道を宿舎に向かって歩く。その道中ずっと、シルメリアの顔が頭から離れなかった。
「シルメリア…君は一体、何者なんだ?」
 ローランドは夜空を見上げて、呟いた。
 その問いかけを聞いていたのは、暗闇だけだった。


 シルメリアと出会い、数年が経った。彼女は自分の故郷に帰ろうとしなかった。その理由を訊くと、この街が気に入ったから、とシルメリアは笑って答えた。いつしか二人は、お互いに惹かれあっていた。
 それからしばらくして、ローランド率いる血剣騎士団は、大きな戦に出陣することになった。それは後に、カミール丘陵の大戦と呼ばれるようになる、そんな戦だった。騎士団は、国民に見送られ、出陣した。
 戦いは苛烈そのものだった。戦場には敵味方の悲鳴が響き、血の匂いがたちこめていた。血剣騎士団は、アークダイン国王の実弟であるレオンの命を受け参戦した白百合戦士団と協力し、敵を撃破していった。
「何をお考えになっているのですか?」
 物思いに耽っていたローランドは、声をかけられると顔を上げた。少し離れた所に白銀の鎧を纏った青い長い髪の女性が立っていた。顔に笑みを浮かべ、歩いて来る。
「リシェル殿。いつからそこに?」
「少し前からですわ。お気づきになられませんでしたか?」
「そうでしたか…。全然気づきませんでしたよ」
「考え事ですか?」
「…ええ…まあ、そんなところです」
 そう言うとローランドは溜息をつき、遠くを見つめた。琥珀色の目が物憂げに曇っていく。リシェルは彼の隣に座ると、ローランドの腕に手を置いた。
「好きな人のことを考えているのでしょう?」
 ローランドの肩がびくっと震えた。ローランドは驚き、目を大きく見開いた。
「図星のようですわね」
「はは…。その通りです…。必ず生きて帰ると、約束したんです。得られる物が何もない傷つくだけの戦いなんて、早く終わればいいのに……」
「私も、同感です」
 二人の願いも空しく、戦いは長い間続いた。
 戦いが終わり、騎士団はアークダインに帰還した。
 大戦で活躍したローランドは、国王から直々に、雷鳴のローランド、という二つ名を与えられた。
 数々の犠牲と引き換えに得た栄光。
 複雑な思いが、胸を締めつけた。


 故郷に戻ったのも束の間、騎士団は国王から前線地方の指揮を執るように、と命令された。ローランドは家に帰り、この事を両親に告げた。両親は温かく、静かに、祝ってくれた。
 出発の前夜、ローランドはシルメリアと静まり返った夜の街を歩いていた。子供の頃、母親とよくミサに行っていた教会の前に着くと、ローランドは足を止めた。後ろを向き、シルメリアを見つめる。
「どうしたの?」
「…君に、言いたいことがあるんだ。しばらくは戻れないだろう、だから…」
「だから?」
「シルメリア、俺が無事帰って来たら……俺と…俺と、一緒になってほしい!」
「!!」
 シルメリアは無言で立っていた。しばらく呆然としていたが、はにかむように頷いた。ローランドの身体中に、喜びの波が走った。
「本当に!?ありがとう……!」
 ローランドは震える腕で、シルメリアを抱き締めた。シルメリアは一瞬戸惑っていたが、ローランドの背中に腕を回し、しがみついた。
 そして、二人は誓いを交わすように、ゆっくりと唇を重ねた。
「必ず、生きて帰るよ」
「…ええ…、いつまでも待っているわ」
 翌日、ローランド率いる騎士団は旅立って行った。空は彼等を祝福するかのように、青く晴れ渡っていた。
 シルメリアは丘の上から彼等を静かに見つめていた。草の香りを含んだ風が吹き、金色の髪が揺れる。シルメリアは唇を指でそっとなぞると、目を閉じた。
「…ごめんなさい、ローランド……」
 誰にも気づかれることなく、溶けるように、シルメリアの姿は消えていった。