前線地方の指揮を任されて二年の月日が流れた。侵攻してくる敵を押し戻したり、戦いで負傷した兵士の手当て、物資の補給など、慌ただしい日々が続いた。
 ある日、国王から手紙が届いた。封を切り、中身を取り出す。その内容は本国への帰還命令だった。その旨を団員達に伝えると、団員達は喜び、中には泣きだす者もいた。
「明日の朝、出発する!各自休息をとり、明日に備えて体調を整えておけ!」
 ローランドも喜んだ。やっと、両親とシルメリアが待つ場所に帰れるのだ。
 明朝、騎士団はアークダインに向けて出発した。薄い霧がたちこめる森を歩く。森の空気は冷たく、少し肌寒い。だが、故郷に帰れる喜びを考えると、寒さなど苦にならなかった。
 森の半分まで歩を進めた時、異様な気配を感じ、ローランドは足を止めた。手を上げ、団員達を止める。
(何だ?これは……血の匂い?)
「団長!!あれを!!」
 団員の一人が声を上げ、一点を指差している。ローランドは木々の間を慎重に進み、近づいた。近づくにつれ、血の匂いが濃くなってくる。
「!!!」
 開けた場所に出たローランドは、その光景に息を呑んだ。
 そこには何十人もの死体があった。どれも血塗れで、身体中に傷がある。ローランドは、死体が身に着けている鎧に見覚えがあった。カミール丘陵で共に戦った白百合戦士団の紋章が鎧に刻まれていた。視界の端で、何かが動いた。見ると血塗れの女性が、苦しそうに息をしながら樹にもたれかかっていた。急いでローランドは駆け寄った。
「リシェル殿!?大丈夫ですか!?」
 ローランドはリシェルの肩を掴み、優しく揺すぶった。血の気のない唇が動き、リシェルの目がうっすらと開いた。
「ロー…ランド…殿…?いけません…これは罠ですわ…。早く…お逃げになって…」
「罠…?どういうことです…?」
 その時、ローランドの背後で悲鳴が上がった。振り返ると団員達が次々と倒れていく。 暗緑色の濃い霧が、団員達を包み込んでいた。
「あれは…毒の霧!?一体、誰が…!!」
 団員達を助けに戻ろうとした時、うなじに微かな痛みが走った。手を触れてみると、吹き矢のような物が刺さっていた。引き抜くと同時に身体が痺れ、ローランドは膝をついた。景色が回り、意識が遠のいていく。がさりと音がして、森の奥から黒いローブを着た数人の人影が現れた。
「カノン様、どうしますか?」
 カノンと呼ばれた人影が、倒れて動けないローランドを見下ろした。
「死体はどこか適当な所に捨てておけ。将軍、貴方には我が城に来てもらいますよ。」
 不気味な薄笑いを浮かべて、カノンが言った。
 そこでローランドの意識は途切れ、何もわからなくなった。


 目を覚ますと、ローランドは薄暗い牢の中にいた。手と足を頑丈な鎖で繋がれ、あまり動けない。錆びついた音をたて、牢の扉が開き、カノンが入って来た。激しい感情が湧きあがり、ローランドはカノンを睨んだ。
「カノン…!貴様、このような狼藉、許されると思っているのか!?」
「ふふ…。今の貴方は例えるなら、牙と爪のない狼、どんなに吠えても痛くも痒くもありませんな。将軍、貴方には我がゴーラ教団の士気をあげるための生け贄になってもらいますよ」
「リシェル殿は…騎士団や戦士団の皆はどうなったんだ!?」
「奴等は今頃、不死者か魔物の餌になっているでしょうな…。白百合戦士団は貴方達騎士団をおびき寄せる餌として役に立ってくれましたよ」
「カノン、貴様あぁぁっ!!!」
 ローランドはカノンに掴みかかろうと、身体を動かした。だが鎖に阻まれ動けない。
カノンは狡猾に笑うと、懐から銀色に鈍く光る短剣を取り出した。
 ローランドの身体を冷たい物が突き抜けた。腹に銀色の短剣が深く刺さっている。じわりと生温かい血が広がっていく。
「……!!」
「儀式は今夜、楽しみですな」
 ローランドは崩れるように倒れた。身体の下に、血溜まりが広がる。楽しそうにそれを見下ろすと、カノンは出て行った。
 ローランドは空気を求め喘いだ。冷たい石畳の床を通して死が全身に染み渡っていく。その時、霞んだ視界にほっそりとした影が映った。その人影はゆっくりと、こちらに近づいて来る。
「…シル…メリア…?」
 ローランドの目の前にいたのは、アークダインにいるはずのシルメリアだった。
 彼女の姿を見て、ローランドは言葉を失くした。
 浅葱色の鎧に、梟の羽飾りがついた兜。幼い頃、何度も何度も夢に見ていたあの姿そのものだった。そして、ローランドは全てを悟った。
「そうか…シルメリア…君は…いや、貴女は…戦乙女だったんですね…」
「…ローランド…」
 シルメリアがローランドの傍らに屈んだ。細く、柔らかい髪がローランドの頬に触れる。
「俺は…死ぬんですね……」
「いいえ、貴方は死なないわ…。肉体という窮屈な檻から解放されるだけ。魂は私と共に生き続けるの」
 ローランドの目は、生気を失いかけていた。シルメリアは手を伸ばし、ローランドの冷たい頬に触れた。翡翠色の目が悲しみの色に染まる。
「…貴方は後悔している?…私を愛したことを…」
 弱々しく、ローランドは首を振った。白蝋のような顔に微笑みが浮かんだ。
「後悔なんて…してない…。シルメリア、貴女が人でなくても、神だったとしても、俺は貴女を愛しているよ……」
 ローランドの頭が力を失い、垂れた。シルメリアは屈みこむと、ローランドの唇に優しく口づけした。シルメリアはローランドの魂を自分の身体の中に取り込むと、姿を消した。


 澄んだ青い空の高みに、シルメリアとローランドは浮かんでいた。
 どこまでも青い世界が広がっていて、ローランドは、自分もその世界に溶け込んでしまっているような錯覚を感じた。
「これからどうするんですか?」
 ローランドは隣にいるシルメリアに話しかけた。目を閉じていた彼女は、ゆっくりと目を開けた。
「…死にゆく魂を探しに行くわ。それが、戦乙女である私の使命だから」
「俺も、どこまでもついて行きますよ」
 シルメリアは微かに微笑んだ。
「さあ、行きましょう」
 二人の姿は光の粒となり、消えていった。
 人としての生を失ったのは悲しいけれど、
 俺はあの時、
 君を、運命を抱き締めたんだ。
 だから俺は、
 全てを受け止める。
 あるがままに。