セレスがラッセンに来てから四年の月日が経った。父とセレスは喧嘩することもなく、穏やかで、幸せな日々が続いていた。
 ある日、いつものように書庫で本を読んでいたファーラントは父に呼び出された。本を置き、父の書斎に向かう。書斎に入ると、父は椅子に座り机の上の書類に目を通していた。
「俺に何か用?」
「来たか。急な用事が入って私はしばらくラッセンを離れることになった。私がいない間、セレスと協力して領主の仕事を頼みたい。…出来るか?」
「任せてくれよ!父さんが帰るまで俺がセレス様とラッセンを守るよ」
「お前になら、安心して任せられるよ」
 そして次の日、父は馬車に乗りラッセンを出た。ファーラントはセレスと一緒に父を見送った。隣に立つセレスの顔はどこか寂しそうだった。ファーラントは空を見上げた。今日の空は雲が多かった。
 まるで、セレスの気持ちをそのまま映したかのように。


「ファーラント、買い物に付き合ってくれないかしら」
「いいですよ」
 父が旅立って一週間。大きな事件は起こらず、ラッセンは平和だった。街は人々の声で賑わい、活気に満ち溢れていた。広場を歩いていると二人の幼い子供が駆け寄って来た。
「ファーラントお兄ちゃん!遊ぼうよ!」
「あそぼうよ!かくれんぼがいい!」
 近所に住む兄妹だ。ファーラントは週に二、三回、子供達に勉強を教えたり、遊んだりしていた。快活で気さくなファーラントは子供達に人気があった。街を歩くと、必ずといっていいほど子供達に声をかけられるのだった。
「悪い、今忙しいんだ。俺はかくれんぼより鬼ごっこの方が好きだぞ?」
「え〜?駄目だよ!ファーラントお兄ちゃんは足が速いもん、すぐに捕まっちゃうよ」
 兄が不満そうな顔で、頬を膨らませた。妹も兄の真似をする。セレスがくすりと笑った。
「この子達と遊んだら?私は構わないわよ」
「でも…」
「なら、私も一緒に遊ぶわ。貴方達、構わないかしら?」
「うん!一緒に遊ぼ!」
「あそぼ!あそぼ!」
 その時、広場の空気を悲鳴が引き裂いた。正門に続く道から聞こえてくる。
「大変だ!!ロゼッタ王朝の軍隊が攻め込んで来ているぞ!!」
 その言葉にファーラントは耳を疑った。それが本当ならラッセンはすぐに制圧されるだろう。奇襲攻撃に耐えられるほど、ラッセンの守りは堅くない。
 爆音が響き、赤く燃えた火球が飛んできた。建物の壁を砕き、瓦礫が人々を襲う。
 ファーラント達の近くでも火球が炸裂した。巨大な瓦礫が降り注ぐ。ファーラントは兄妹とセレスを自分の方に引き寄せると、目を閉じ、呪文の詠唱を始めた。
『慈悲深き大地母神よ。堅き守護の導きを此処に示せ!』
 淡い緑色の光の壁がファーラント達を包み込んだ。光に弾かれ、瓦礫が音を立てて地面に落ちていく。
「ファーラント!私は武器を取りに領主館に戻るわ!貴方はこの子達を安全な所へ!」
「え!?セレス様!?」
 そう言うとセレスは走って行った。子供達は怯えた顔でファーラントの服を握っている。広場を逃げまどう人の中に ファーラントのよく知る人物がいた。
「リゲル!!」
 名前を呼ばれた青年が振り向いた。アッシュブルーの目を大きく見開き、辺りに散乱している瓦礫を避けながら駆け寄って来た。
「ファーラント!?お前こんな所にいたのかよ!…ったく、捜したんだぞ?まあ、無事で良か…」
「リゲル、この子達を安全な所に連れて行ってくれ。二人共、大丈夫だよ、リゲルは俺の友達だから」
「おい!?ファーラント!?」
「頼んだぞ!!」
 兄妹をリゲルに預けるとファーラントは脇目も振らず駈け出した。至る所に人が倒れていて、あちこちから悲鳴が上がる。正門が破られ、ロゼッタの兵士が入り込んで来ているようだ。襲い来る兵士を魔法と体術で倒しながら、ファーラントは領主館へと急いだ。
(嫌な予感がする…!セレス様が危ない!)
 領主館の前にはまだ兵士はいなかった。中に入り、セレスを捜す。三階にある寝室から物音がした。ドアを開けると軽鎧を身に着け、幅の広い剣を持ったセレスがいた。
「セレス様!!」
「ファーラント!?どうしてここに!?」
「貴女を守るためです!さあ、早く逃げましょう!!」
「見つけたぜ…斬鉄姫セレス…」
 聞き覚えのない声が背後から聞こえた。振り返ると、そこには見慣れない長身の男が立っていた。全身を黒い鎧で隠し、兜で顔を覆っている。赤く光る目が二人を睨むように見ている。
「誰だ!?」
「ああん?生意気なガキだなおい。まあいい、俺様はアドニス、ロゼッタの国家騎士団ナイトオブサンの黒光将軍だ。ま、どうせここでくたばるんだから教えても無駄か」
「セレス様は俺が守る!」
 ファーラントはセレスを守るように前に出た。張り詰めた空気が辺りを包む。
「…ナイト気取りのクソガキが…気にいらねぇ、まずはテメェからぶち殺してやるよ」
 ファーラントの腕をセレスが掴んだ。セレスはファーラントと共に窓際に後退した。
「セレス様?」
「逃げなさい、ファーラント。あの男の狙いは私よ。私が囮になるわ。その隙に…」
「嫌です!!俺は父さんと約束したんだ!貴女とラッセンを守るって!」
 セレスは微笑むと、ファーラントの身体を強く押した。バランスを崩し、ファーラントは開いた窓から落ちた。木々がクッションがわりになり、かすり傷ですんだ。
「セレス様!!駄目だ!!早く貴女も!!」
 ファーラントは叫んだ。セレスが窓から顔を覗かせた。
「行きなさい!!貴方は死んではいけないわ!!貴方が死んだら、誰がラッセンを守るの!?」
 きつく拳を握り締め、ファーラントは走った。後ろから剣と剣がぶつかりあう音が聞こえてくる。悔しさとセレスを見捨てて逃げているという罪悪感で、胸が苦しくなる。
(俺にもっと力があったら…!!)
 人の気配を感じ、ファーラントは近くの茂みに隠れた。弓を持った部隊が領主館に向かって行く。
(あいつらも…ナイトオブサンなのか…?先頭を歩いている奴…まだ子供じゃないか…)
 一人だけ黒い服に半ズボンという軽装の少年がいた。部隊を率いているのか、時折兵士に命令している。少年が茂みに隠れているファーラントの横を通り過ぎた。
 少年の顔を見た時、既視感に似た何かをファーラントは感じた。幼い頃に失くした記憶の一部が疼く。頭痛を感じ、 ファーラントは頭を押さえた。その時、ファーラントの横にある木の幹に、風を切り、矢が突き刺さった。
「おい。そこに隠れている奴、死にたくなかったら出て来い」
 ファーラントはおとなしく従うことにした。立ち上がり、姿を見せる。少年が弓を構え睨む。その視線は氷のように冷たい。
「エルド将軍、どうしますか?始末しますか?」
 エルド、それが少年の名前らしい。部下の一人が訊いた。エルドは眉根を寄せ、しばらく考え込んでいた。
「…放っておけ。オレ達の任務はあの女を捕獲することだ。早く行かないとアドニスの野郎が女を殺してしまうぞ」
 ファーラントがそこにいなかったかのようにエルドが率いる部隊は歩いて行った。
取り残されたファーラントは、しばらくその場に立っていた。
「セレス様…。どうか、ご無事で……」
 踵を返すと、ファーラントは走って行った。ラッセンの街は破壊し尽くされていた。煙が上がり、瓦礫が散乱している。目を覆いたくなるほどの惨状にファーラントは言葉を失くした。
「酷い…」
 自分が生まれ育った街の変わり果てた姿に、ファーラントは心を痛めた。その時、物陰から伸びてきた手に腕を掴まれ、ファーラントは路地裏に引きずり込まれた。


「くっ…手強い相手だった…」
 苦しそうに息をしながら、セレスが呻いた。全身傷だらけで、特に右腕の傷が酷い。足下には、白目をむいたアドニスの首が転がっていた。激戦の末、セレスは一瞬の隙をついてアドニスの首を刎ねたのだった。
「早く…ファーラントと合流しないと…」
 剣を支えに立ち上がろうとしたセレスの背中に矢が突き刺さった。激痛が走る。痛みに顔を歪め、セレスは振り返った。そこには、弓を構えた少年が立っていた。
「その矢には遅効性の毒が塗ってある。あと十分もすれば貴様の身体は麻痺して、意識もなくなる」
「お前…何者だ?このアドニスという男の仲間か?」
 毒が回ってきたのか、身体が痺れてきた。少年は侮蔑するようにアドニスの首を見下ろした。アドニスの首を踏みつけ、ボール遊びをするように転がす。
「コイツが仲間?笑わせるな、反吐が出る。しかし、コイツも馬鹿な奴だ…こんな惨めな最期を迎えるとはな…」
「私をどうするつもり?」
 アドニスの首を部屋の隅に蹴り飛ばすと、少年はセレスを見た。その目は冷たく、何の感情も宿していない。
「上からの命令でな、貴様を殺さずに生きたまま捕虜にしろと言われた。それだけだ」
「それだけの為にラッセンを襲ったというの!?」
「いや…ラッセンは物の流通が盛んだからな、ラッセンを抑えれば物資の流れは滞り、他の国や街は困る。物資を手に入れる為には、ロゼッタに従属するしかない。まあ…オレにはどうでもいいことだ」
 少年は気だるそうに口の端で笑った。セレスは立ち上がろうと脚に力を入れるが動かない。次第に意識が遠のいてきた。
「貴様に質問だ。ラッセンの人間と共にここで死ぬか、それとも、大人しくロゼッタの捕虜になり、ラッセンの人間を助けるか。選べ」
「…意地悪な質問ね。答えはわかりきっているじゃない…大人しく捕虜になるわ…だから…ラッセンの皆の命は…奪わ…ない…で…頂戴……」
 ぐらりと、セレスの上体が傾いだ。激しい睡魔が襲う。睡魔に耐え切れず、セレスは目を閉じた。
(ごめんなさい…あなた…ファーラント……)
 暗く、深い闇の底へ、セレスの意識は落ちていった。
「任務完了!黒光軍と青光軍の半分はラッセンに留まり、街を制圧せよ!残りの半分はオレと共に本国に帰還する!」
 それが、セレスの聞いた最後の声だった。


 自分の腕を掴む手から逃れようと、ファーラントはもがいた。耳に聞き慣れた、慌てた調子の声が聞こえた。
「馬鹿!騒ぐなよ!奴等に気づかれるだろ!?」
「リゲル?よかった…無事だったんだな。…そうだ…子供達は?皆は?」
「子供も、街の人も無事だ。皆、郊外の森に避難してる」
 リゲルはファーラントを連れて、激しく損傷した裏門から出た。郊外に鬱蒼と広がる森に入ると、奥の開けた空間に街の人々がいた。
「これだけ…なのか…?」
 あまりにも少ない人数を見て、ファーラントは呆然と呟いた。嫌な考えが脳裏をよぎる。
「…大半の人はロゼッタの兵士に捕まったんだ。生きているとは思うが…」
 ファーラントの隣でリゲルが俯いた。ロゼッタに捕まったのだろうか、人々の中に彼の家族はいなかった。人をかきわけ、あの兄妹が走って来た。
「ファーラントお兄ちゃん!!僕達のパパとママを助けて!!」
「たすけてよぅ!!」
 妹がファーラントの胸に飛び込み、激しく泣きじゃくった。兄は必死で涙を堪えている。その表情はとても痛々しかった。
 周りを見ると、人々が救いを求める目でファーラントを見つめている。
(…皆が俺に助けを求めてる…。でも…僅か百名ほどの残存兵であのロゼッタに対抗できるのか…?でも…俺は…)
 取り戻したい。あの街を。
 自分が愛する故郷、ラッセンを。
「…リゲル、俺に力を貸してくれ」
「ファーラント…お前…まさか…」
 ファーラントは立ち上がり、強い決意のこもった目で、人々を見回した。
「皆…俺は、愛するラッセンを取り戻す為に戦う!だから…俺に力を貸してくれ!!」
 ファーラントを見つめる顔が次々と頷いた。呆れた顔で、リゲルも頷いた。
 だが、その目はファーラントと同じく強い決意に満ちていた。
「今ここに、ラッセン解放軍を結成する!!」


 遥かな青い空の高みから、一人の女性が彼等を見つめていた。
 兜についた梟の羽飾りが風に揺れた。