「珍しいな。こんな所に君がいるなんて」
 遅めの夕食をとろうと、ローランドは宿屋の一階にある食堂に来ていた。夜も更け、食堂は仕事帰りの鉱夫や若者達が集う酒場になっていた。その隅の方にある席に珍しい姿を捉え、思わずローランドは声をかけていた。靴音を響かせ近づくと、席に座っていた青年がゆっくりと振り向いた。
「…何だよ。喧嘩を売っているのか?」
 ローランドの言葉が癇に障ったのか、青年の冷たく整った顔が顰められた。青年の紫色の目が壁に立て掛けられてある弓と矢筒の方に動く。いつでも殺せるぞ、という意思表示のようだ。
「そんなつもりはないんだ。エルド、座っていいかな?」
 無言でエルドが頷く。椅子を引くと、ローランドはエルドの向いの席に腰を下ろした。注文を聞きに来た女性に魚介類のスープとパンを注文する。
 メモを書き、水の入ったコップを置くと、女性はキッチンに姿を消した。コップを手に取り水を一口ほど喉に流し込む。
「…アンタは酒を飲まないのか?」
「ん?ああ、酒類は苦手なんだ。あの匂いと味が好きになれなくてね…」
「フン…見た目通り、という訳か。どこからどう見てもアンタは生真面目に見えるからな」
 そう言うと、エルドは気だるそうに口の端を歪めた。ワインが入ったグラスを細い指で器用に回す。よく見ると、ワインは半分にも減っていなかった。だが、エルドの白い頬は赤くなり、目はぼんやりとしている。しばらくするとパンとスープが運ばれてきた。パンを一口大にちぎり、スープに浸して食べる。エルドは頬杖をつき、物憂げに窓の外を見ている。パンが無くなりかけた頃、エルドが話しかけてきた。
「…最近…調子が悪い」
「調子が悪い?体調でも崩したのか?」
「…わからない…いや、違う…なんて言えばいいんだろうな…以前は血の匂いを感じると、胸が震えるほど気持ち良かった。でも…アイツと出会ってからそれがなくなっていったんだ。それに…アイツが側にいると胸が苦しくなって気持ち悪くなる。側にいてやりたい、守ってやりたいって思うんだ。これは…何なんだ?」
「それは…愛情、だと思う」
「愛情?」
「ああ。エルド、君は彼女を愛しているんだ」
「愛している?そんなはずはない。オレはずっと一人で生きてきた、一人だった!否応なしに世界からそれを突きつけられて無理矢理認識させられるんだ!そしてオレは思い知らされるのさ。ああ、そうだオレは一人なんだってな!両親に捨てられ人を殺して生きてきたオレに、誰かを愛し、愛される資格なんてないんだよ…」
 泣き声に近い声でエルドが言った。長い前髪が顔に垂れ、暗い影が浮かんでいる。握り締めた白い拳が小刻みに震えていた。ローランドは身を乗り出すと、真摯な眼差しでエルドを見つめた。
「エルド。人は生まれた時から誰かを愛し、愛される資格を持っているんだ。君だってそうだよ」
 エルドは机に両肘をつき、顔を隠すように両手で覆った。唇から呟きに近い声が漏れる。
「オレは怖いんだ…人を愛することが……一人になることが…ククッ…かつては魔術師を狩る者として奴等を震えあがらせた奴がこんな臆病者だったとはな…笑いたければ笑えよ」
「勇気と臆病」
「は?」
 エルドが顔を上げ、ローランドを見た。
「勇気と臆病は光と影のようなもの。勇気がないと臆病は育たない、臆病がないと勇気は育たない。どんな英雄だって臆病者なんだよ。それを恐れずに、向き合っていくことが大事なんだ」
 古い記憶の中にある言葉を思い出しながら、ローランドはゆっくりと話した。エルドは黙って聞いていた。
「…何だ?その反吐が出そうになる台詞は…」
「俺の父が口癖のように言っていた言葉だ」
「フン…虫唾が走るよ……でも…」
「でも?」
「悪くはない」


 今夜のエルドは饒舌だった。酒がはいっているせいでもあるのだろう。いつも不機嫌で無愛想なエルドはどこか遠くに行ってしまったみたいだった。
 エルドは人に詮索されることを嫌う、ということをファーラントから聞いていたローランドは内心微笑んだ。少しずつ、彼等に心を開きつつあるのかもしれない。
「そんなに飲んでもないのにどうして酔うんだ?」
「…五月蠅い…さっさと部屋まで連れて行け」
 ローランドはエルドを背負い、二階に続く階段を上っていた。エルドの弓と矢筒は宿屋の主人に頼み、朝まで預かってもらっている。
 あの後エルドは気分が悪い、と言ってその場から動かなくなったのだ。背負ってみると小柄で華奢なエルドの身体は恐ろしく軽かった。きっと、四十キロ程しかないのだろう。
「君は軽すぎだ。もっと食べた方がいい」
「余計なお世話だ。貴様の背中に吐瀉物を撒き散らしてやろうか?」
 頭に痛みが走った。どうやらエルドがローランドの髪の毛を引っ張ったらしい。手のかかる弟のようだ、とローランドは思った。考えてみると二人の年の差は三つしかない。部屋の前に着き、エルドを降ろす。
「大丈夫か?」
「ああ。さっさと消えろ、目障りだ」
 冷たくエルドが言った。不機嫌で、無愛想なエルドが戻りつつあるようだ。ローランドは苦笑した。
「おい」
「ん?」
「…いろいろ話を聞いてくれて…ありがとう」
 短く言うと、エルドは部屋の中に入って行った。自分の部屋に戻ろうと振り返ると、廊下に一人の少女がいた。ローランドの姿に気づくと、少女が歩いて来た。
「アリーシャ王女?こんな真夜中にどうしたんです?」
「あ…その…最近エルドさん、元気がないからその…心配になって…」
「彼なら大丈夫ですよ」
 そうローランドが言った直後、部屋の中から言い争う声が聞こえてきた。
『いってぇ!!何だよいきなり!人が熟睡してるってのに!!』
『黙れ。毛布をとろうとしただけだ』
『自分のがちゃんとあるだろう!?』
『寒いんだ。一枚じゃ足りない』
「ほら、ね?」
「よかった…」
「貴女も早く寝た方がいい」
「はい」
 頷くとアリーシャは自分の部屋に戻って行った。彼女の背中を見送ると、ローランドも自分の部屋に戻った。
(エルド、俺達は同じ人を愛しているのかもしれないな。君は神を宿す少女に、そして俺は、その少女に宿る神に…)
 ベッドに横になり、暗い天井を見つめながらローランドは思った。
 天井を透かして星空が見えそうな気がした。
 今夜はよく眠れそうだ。