Overture to the sea of trees



 翌日、フレン達はロード元老院に赴きミッションを受領した。ミッションの内容とは世界樹の迷宮の第一階層の地図を完成させるという内容だった。フローディアから受け取った地図は不思議な物だった。その地図は彼等が歩いた道を記憶し、自動的に書き記してくれるのだ。だが罠や宝箱の位置、道標など些細な情報は自分達の手で書きこんでいかなくてはいけない。樹海にいる兵士から書き方を教わり、その役目を引き受けたスバルは羽ペンを握り締め、地図と格闘していた。
「えーっと…ここの行き止まりに看板あり、と…。ふぁーやっと出来たヨ」
 満足げにスバルが頷いたその時、細い指が彼女の手から地図を取り上げた。直後に呆れ果てた声が頭上から降ってくる。
「…何がやっと出来たんだ?馬鹿女。間違いだらけではないか。看板はここではなく、こっちだ」
「うっ…うるさいなぁ!!間違いは誰にだってあるんだもん!それと、ボクはスバル!馬鹿女じゃないヨ!」
「おい、フレン。この馬鹿女にマッピングをやらせるな。私か、そこのシノビか鎧の女にやらせろ。少なくともコイツには任せるな」
「シリウス殿。オレはアギト、彼女はアリス殿です。仲間なんですから名前くらいちゃんと呼んでください」
 僅かに眉間に皺を寄せたアギトが諭すように言った。そうだそうだとスバルが賛同する。二人の抗議をシリウスは無視した。
「はは…そうするよ。アリス、スバルが慣れるまで彼女を助けてやってくれないかな?」
「承知しました」
「ありがとう。そろそろ休憩しよう。そうだな…あの滝の側なら安全だろう」
 フレンが指差した先に、盛大な音を立てて流れる滝があった。休憩する前にアギトが周囲を探りに行った。戻って来たアギトの口から魔物の姿はなかったという言葉を聞くと、彼等は腰を下ろした。
「樹海って昼と夜とじゃ全然雰囲気が違うんだね」
「私もそう感じます。先日訪れた時とは違いますね」
 樹海の一階から五階までは垂水の樹海と呼ばれ、南国の熱帯雨林を彷彿とさせる場所だった。ギルド長の話によると、深く潜るにつれ樹海はその姿を変えるのだという。生息する魔物も凶暴になり、生きて帰れる冒険者の数も激減するらしい。
「潜れば潜る程、生還する確率は大幅に下がるらしいね」
 フレンの言葉に反応し、スバルの顔が暗くなった。恐怖を感じたのだろう、励まそうとしたフレンが口を開くよりも早くシリウスが口を開いた。
「何だ、怖気づいたのか?」
「ちっ…違うヨ!」
「喧嘩は駄目だよ、二人共。お腹も空いたしランチにしよう」
 フレンは鞄を開け、ランチボックスを取り出した。宿屋の少年が彼等にと作ってくれた物で、蓋を開けると色んな具材の詰まったサンドイッチと果物が入っていた。
「わーいっ!ツナサンド頂きっ!」
 スバルが手を伸ばし、ツナサンドを口に放り込んだ。満面の笑みを浮かべながら頬張る。アリスとアギトもそれぞれ好きなサンドイッチを手に取り食べている。
「シリウス。君も食べなよ」
「必要ない」
 フレンは彼等から離れて座っているシリウスに声をかけた。短く素っ気ない返事をすると、シリウスは腕を組み目を閉じた。
「呑気な奴等だ。昼飯を食べている暇があったら、さっさと地図を完成させるべきだと思うが」
 刺のあるシリウスの言葉を聞き、スバルが表情を曇らせた。
「フレン殿。彼は信用できるんでしょうか?」
 二人のやりとりを見ていたアギトが小声で話しかけてきた。
「何故そう思うんだい?」
「…オレは今まで人の裏、闇の面を嫌という程見てきました。シリウス殿は何かオレ達に隠しているような気がしてなりません。オレは…信用出来ません」
「アギト、君が言いたい事も解るよ。でも僕達は上手くやっていると思わないか?」
 樹海を散策する道中、彼等は幾度となく魔物に遭遇した。その都度フレン達は見事な連携で撃退してきた。フレンとアリスが前衛に立ち、フレンが指示をする。前衛の二人をアギトが援護し、スバルが回復を担当する。剣が効かない魔物にはシリウスの占星術で仕留めるのだ。言葉を交わす事が少ない中、彼等は自然に自らの役割を感じとっていた。
「それに、僕達を殺そうとするなら既に殺している筈だ。大丈夫だよ、彼を信用出来なくても僕を信じて欲しい」
「…解りました。変な事を言ってしまって申し訳ありません」
「謝る必要はないよ。アギトの意見が聞けてよかった」
「フレン様!スバルがいません!」
 緊迫したアリスがフレンの側に駆け寄って来た。フレンは立ち上がり、スバルの姿を探した。だが彼女の姿はなく、地図とマッピングの道具もなくなっていた。
「きっと地図を埋めに行ったんだ…!魔物に遭遇する前に見つけないと!」
 荷物を背負い三人は素早く準備した。離れた所にいるシリウスは気だるそうに立ち上がると、彼等に気付かれないように小道に姿を消した。


「何さ!偉そうにして!言われなくても解ってるヨ!」
 ぶつぶつと愚痴りながら、スバルは少しずつ地図の空白を埋めていった。入り組んだ道を進んで行くと、大きな扉が視界に入ってきた。地図を見るとこのエリアはまだ空白のままだった。恐れを知らない足取りで扉に近付くと、スバルは扉を開けた。開けると同時に甘い香りが流れてきた。
「うわぁ…」
 目の前には鮮やかな色彩の花畑が広がっていた。まるで一枚の絵画から抜け出したような光景で、ここが危険な樹海だという事を忘れてしまうような場所だった。
「見惚れてちゃダメダメ!地図を完成させて、アイツをギャフンと言わせるんだから!」
 道具を取り出すと、スバルは座り地図に書きこんでいった。ぬっと細長い影が彼女の視界を遮った。顔を上げると、無表情な顔をしたシリウスが立っていた。
「…あ」
「何をしている?フレン達は必死で貴様を捜しているぞ」
「皆が…?アンタもそうなの?」
「自惚れるな。何故私が貴様を心配しなくてはならん。貴様等と居るのが苦痛で独りになりたかったのだ」
 カチンときたスバルが反論しようとした時、獣の唸り声が四方から聞こえてきた。オオヤマネコの群れが現れ、二人を取り囲んだ。その中の一頭が二人を睨んでいる。
「な…何でアイツ、ボク達を睨んでるの?」
「…恐らく、貴様等があの時殺したオオヤマネコの血縁関係者だろう。そいつの血の臭いが貴様に染み付いたのではないか?血の臭いは洗っても落ちんからな」
 我関せず、といった表情でシリウスが冷静に分析した。今にも泣き出しそうな顔でスバルが叫ぶ。
「冷静に言わないでヨ!このままじゃボク達アイツ等のご飯になっちゃうヨ〜!!」
「貴様は前衛には不向きだからな…時間を稼げと言っても無駄か…」
「…出来るヨ」
「何?」
 シリウスを見上げたスバルの顔は凜としていた。ぎゅっと両手を握り締めると、スバルは身構えた。
「元々ボク達モンクは戦う事を得意としてたんだ。でも、他者を傷つける事を嫌ったモンク達は戦う事を止めて山に籠るようになったんだヨ」
「…任せてもいいのか?下手をすれば心中ものだぞ」
「今だけでもいいから、ボクを信じてヨ」
「…解った」
 一頭の咆哮を合図に、オオヤマネコ達が一斉に襲いかかった。


 シリウスは目を閉じると両手を高く掲げた。見えない星を探し、精神を研ぎ澄ます。無防備な彼を庇うようにスバルが躍り出た。スバルは息を吐くと、モンク独特の構えに入った。道(タオ)と呼ばれる力を体内で練り、両手に集める。両手が熱を帯び、炎を纏っていく。飛びかかって来た魔物にスバルは拳を繰り出した。
「はああぁっ!!壊炎拳!!」
 炎を纏った拳が魔物を吹き飛ばした。魔物は壁に叩きつけられ動かなくなった。次々と襲いかかってくるオオヤマネコ達をスバルの拳が撃退していく。スバルの後ろでシリウスの星読みの言葉が高らかに響いた。
『猛き戦いの星、真紅の炎の星よ。巨人が盗みし神の炎を此処に!』
 真紅の光が輝き最後のオオヤマネコを焼き尽くした。肉と骨が焼ける嫌な臭いを残し、魔物は灰と化した。
「ふぅ…終わったネ」
 構えを解いたスバルが安心したその時、倒した筈の一頭が起き上がりスバル目がけて跳躍した。背を向けていたスバルは反応が遅れ、防御する事が出来なかった。シリウスが素早く彼女を背中に庇う。魔物の動きが突然止まり、そのまま地面に落ちた。見ると首筋に短剣が刺さっていた。
「スバル!シリウス!大丈夫か!?」
 開いていた扉からフレン達が駆けこんで来た。アギトは魔物に近付き、生死を確認した。短剣を引き抜くと微笑んだ。
「大丈夫。息絶えています」
 フレンがスバルに歩み寄り、厳しい顔で見下ろした。スバルはびくっと肩を震わせ、恐る恐るフレンを見上げた。
「スバル!僕達がどれ程君を心配したと思ってるんだ!?」
「…ごめんなさい…」
「あまり責めるな。コイツはコイツなりに貴様等の役に立とうとしたのだ。それに、私にも責任がある」
 シリウスの意外な一言に三人の驚いた視線が集中した。訝しげに眉を顰め、シリウスが見返す。
「…何だ?その間抜け面は…」
「いや、何でもないよ。スバル、地図は完成したかい?」
「え?えーと…わっ!!完成してるヨ!!」
 スバルが地図を広げて見せた。彼女の言うとおり、地図は綺麗に埋まっていた。スバルはシリウスに近付くと、不安げな表情で彼に地図を見せた。
「ねえ…合ってるかな」
 地図を受け取ると、シリウスは無言で目を走らせた。地図を返すと、シリウスはぽつりと言った。
「…問題ない」
「よかったぁ〜!ミッション完了だネ!」
「フレン様、早速兵士に見せに行きましょう」
 地図が完成した際には兵士に見せなければならないと言われていた。彼等は入口付近にいる兵士の所に行き、地図を見せた。厳格な顔つきの兵士は顔をほころばせ、おめでとうと言ってくれた。そして彼等はアーモロードに戻り、その足で元老院にミッション完了の報告に向かった。


「へぇ…見事なモンだね。たった数時間で完成させちまうなんて。見直したよ、アルデバラン」
「皆のお陰です」
「謙虚だね。まあいい、ロード元老院はギルドアルデバランを冒険者として認めるよ。いずれまたミッションを受けてもらう事になるよ。それまで、腕を磨いておきな」
 フローディアから報酬を受け取り、部屋を出ようとしたフレン達を彼女が呼び止めた。フローディアはフレンだけを見ていた。
「…フレンとかいったね。アンタはもしかして……いや、何でもないよ。ご苦労さん」
 歯切れの悪い言葉が気になったが、一礼すると彼等は元老院を後にしアーマンの宿に戻った。夕食を終えたスバルは、シリウスにお礼を言っていない事に気付いた。
「ねえねえ、シリウスがどこに行ったか知らない?」
「シリウスさんですか?さっき外に涼みに行きましたよ」
 少年に礼を言うとスバルは外に出た。外は涼しく、風が吹くと少し肌寒い。少し歩くと細身の影が見えた。
それとは別にもう一つの小柄な影が見えた。シリウスはその小柄な人物と何か話しているようだ。スバルの気配に気付き、シリウスが振り向いた。小柄な影はいつの間にか消えていた。
「何の用だ?」
「えっと……昼間は助けてくれてありがとう」
「……」
 シリウスは戸惑っているようで無言で立っている。
「どしたの?」
「……何でもない。風邪をひくぞ、宿に戻れ」
「シリウスは?」
「もう少しここに居る」
「わかった。シリウスも風邪ひいちゃ駄目だヨ」
 スバルは微笑むと、踵を返し歩いて行った。彼女の姿が見えなくなると、小柄な人物が建物の陰から出てきた。薄いマントを目深にかぶり、顔がよく見えない。
「彼等は貴方の正体に気付いてはいないでしょうね」
 発せられた声は少女の声だった。まだ若く、十代後半だろう。
「心配ない。奴等にそれ程の知恵はない」
「…そう、私は戻るわ。シリウス、使命を忘れないで」
 強い口調で告げると、少女は素早く立ち去った。静寂が訪れ、その場にはシリウスだけが残された。シリウスは満天の星が輝く空を仰いだ。一つの影はしばらくその場に佇んでいた。