Night of the opening



 時は大陸暦571年。大陸南部を支配する大国ロゼッタ王朝の城下町は暗く、静かな夜に包まれていた。
 冷たく透き通った藍色の夜空には白く輝く月が浮かんでいる。その月の光が届かない建物の陰に一人の少年が身を潜めていた。微かに届く月の光が少年を照らし出す。
 年の頃は十五、六に見える。茶色の髪は肩の辺りで少し雑に切り揃えられてある。冷たく見えるほどの白い肌に、一見少女と見まがうような顔立ちをしている。夜の闇に溶け込む黒い服を着た身体は華奢だ。長い前髪から覗くアメジストを思わせる瞳は冷たく光っている。
 石畳の地面を走る馬車の車輪の音が夜の城下町に響いた。少年は口元に薄い笑みを浮かべ、腰の矢筒から矢を一本抜き、漆黒の弓を構えた。少しずつ馬車の音が近づいてくる。
(今だッ!!)
 少年は弓を引き絞り矢を放った。矢は勢いよく馬車に突き刺さった。馬車の中から男の悲鳴が聞こえた。異変に気づいた御者が慌てて駆け寄ろうとする。少年は素早く物陰から躍り出て御者の喉に向けて矢を放った。御者は驚きと痛みに目を見開き絶命した。少年は馬車に近づき、馬をつないでいる手綱を外してやった。馬は高く嘶き、そのまま駆けて行き夜の街に消えて行った。
「気分はどうだ?」
 少年が馬車の扉を開け冷たく言い放った。壁にもたれかかった男が声にならない叫び声をあげた。矢は男の首を貫き、そこからは大量の血が流れている。
「お…お前はエルド王子…?」
 男は苦しそうに喘ぎ少年の方へ手を伸ばした。が、その手は糸の切れた操り人形のようにだらりと垂れ下がった。少年は冷たく侮蔑した表情で男の死体を見下ろした。馬車の扉を閉め人に見つからないように血で汚れたその場を立ち去った。
 少年の名はエルド・フォン・ロゼッタ。
 ロゼッタ王朝の王子である。


 エルドは水を打ったように静かな廊下を歩いていた。人のいない廊下にエルドの足音だけが響く。豪華な装飾が施された扉の前でエルドは足を止めた。この扉は謁見の間に続いている。エルドは深呼吸をして扉を押した。重い音と共に扉が開く。
 玉座に壮年の男性が座っている。黒い髪には白い髪が混じり、表情は厳しい。エルドは何歩か進み膝をつき頭を垂れた。冷たい床の感触が膝を伝わり全身に染み渡る。
「暗殺は成功したのか?」
 重苦しい沈黙をロゼッタ王の低い声が破った。
「はい。顔は見られていません。御者も殺しました」
「そうか。もういい、下がれ」
「はい」
 エルドは立ち上がり謁見の間を後にした。王の氷のように冷たい視線を背中に感じながら。


 エルドは自室に戻りベッドで眠っていた。ドアを叩く音がエルドを眠りから覚ました。
「王子。陛下がお呼びです」
 ドアの向こうから兵士の声が聞こえた。エルドがわかったと答えると兵士の足音は遠ざかって行った。エルドはベッドから降り、窓の外を見た。鮮やかなオレンジ色の夕焼け空が広がっている。エルドは部屋のドアを開け、謁見の間に向かった。
「ウンベルトを知っているな?奴が他国に亡命しようとしている事がわかった。奴は私がお前を使ってしている事を知っている。この事が外部に漏れる前に奴を殺せ。いいな?」
「…はい」


「助けてくれっ!!王のしている事は誰にも言わない!!命だけはっ!!!」
 初老の男性、ウンベルトは地面に座り込み命乞いをしている。腰が抜けて動けないようだ。
「諦めろ。」
 エルドの放った矢が胸に刺さりウンベルトが悲鳴をあげた。返り血が飛び月の光でより一層白く見えるエルドの頬についた。エルドは羽織っていたフードつきの黒いマントを脱ぎ細い指で血を拭った。その時、軽く堅い物が地面に落ちた音が辺りに響いた。エルドは驚き、音のしたほうを見た。
 少女が立っていた。少女の足元には木の籠が転がっていて様々な種類の花が散らばっている。エルドはしばらく呆然と立ち尽くしていたが正気に戻りマントを羽織り風のように走り去った。
(顔を…見られた…!?)
 心臓が激しく鼓動を打っていた。


「愚か者が!!顔を見られるとは!!」
 ロゼッタ王の激しく怒気を帯びた声が地下牢に響いた。エルドはあの後城に戻りロゼッタ王に顔を見られた事を報告した。ロゼッタ王は激怒し、罰としてエルドを地下牢に閉じ込めたのだ。今日で三日目になる。
「よいか!!その娘を必ず殺せ!!!」
 ロゼッタ王は地下牢の扉を閉め出て行った。兵士がエルドの手首を縛っている鎖を外した。エルドは立ち上がり、ふらつきながら地上に続く階段を上って行った。
(ロゼッタ王はオレを息子として見てはいない。それはオレが…)


 エルドはあの夜と同じ広場に立っていた。ここにいればあの少女と再び会える、そんな気がした。エルドの予想通り少女が広場の向こう側からゆっくりと歩いて来た。少女は俯きながら歩いていてまだエルドに気づいていない。エルドから十歩程離れた所で少女は顔を上げエルドに気づき、足を止めた。あの時は少女の顔は遠くてよく見えなかったが、今は手を伸ばせば少女の腕を掴める程近くにいる。
 年はエルドと同じか一つ下だろう。金色の長い髪を鮮やかな赤いリボンで結んでいる。金色の髪は月の光に照らされ輝いている。たっぷりとした袖に、腕には花の入った籠をさげている。前が大きく開いたワンピースのような服に短めの淡い水色のスカート、腿まである茶色のブーツを穿いている。護身用なのか花売りにしては珍しく、腰に細身の剣を帯びている。
 エルドの目を惹いたのは彼女の瞳だった。
 雲一つない青空のように澄みきった大きな青い瞳。じっと見つめられていると胸が痛くなる。エルドはそう思った。
「貴方はロゼッタの王子ですよね…。どうして人殺しを…?」
 少女が桜の花弁のような淡い色の唇を開いた。
(やっぱりオレの顔を見たのか…)
 エルドは弓を引き、少女の胸に狙いを定めた。少女は驚き後ろに一歩下がったが死を覚悟したのか目を瞑った。
 エルドはしばらく弓を構えていたが弓を下ろし、地面に投げ捨てた。乾いた音をたて弓がエルドの足元に転がった。少女が目を開け、何故?という目でエルドを見た。
「オレにはできない…お前を殺せない…」
「どうして…?私は貴方の顔を見たんですよ?」
 エルドは少女に右手を差し出した。
「オレと一緒に来てくれ。オレはロゼッタを出る。ここにいたらお前は殺されるぞ。それに…人殺しはもうたくさんだ…」
 エルドは何故自分がこんな事を言い出したのかわからなかった。だが自分はこの少女を殺したくない。死なせたくない。
 そう強く思っていた。
 少女は戸惑っているらしく無言でエルドを見ている。
「…私は貴方を…ロゼッタを憎んでいます」
 少女は大きく息を吐き言った。エルドの手は差し出されたままだ。
「それでもいい」
 少女はエルドの瞳に宿った強い意思を感じ取ったのか頷いた。
「ここから少し離れた所に森がある。行こう」
 エルドは弓を拾い、少女の手をとった。少女は驚きエルドを見たがエルドはそれに気付かず早足で歩きだした。エルドに手をひかれ慌てて少女も歩き出す。
 

「これからどうするんですか?」
 少女がエルドの背中に声をかけた。エルドは少女に背を向け、追っ手が来ないか警戒している。エルドが振り向いた。その表情は暗く沈んでいる。
「…ラッセンに行こうと思っている」
「あまり乗り気じゃないみたいですね」
「会いたくない奴がいるんだ。行くぞ」
 少女がエルドに歩み寄り右手を差し出した。どうやら握手を求めているらしい。
「自己紹介がまだでしたね。私はアリスです」
「…馴れ合いは嫌いだ」
 エルドは差し出された右手を無視し森の出口に歩いて行った。アリスは溜息をつき、エルドの後を追った。